5/19から、学びのかまど:暮らしで使えるSDGsを作ろう17回シリーズがはじまりました。
おおむね、月2回のペースで17回やってゆきます。
SDGsについては、一年以上をかけて、つながるコミュニティである、トランジション・タウンとセブン・ジェネレーションズのコミュニティのみなさんといっしょに、国連から発表されている2030アジェンダを読んできました。
読んでみてわかったことは、「言葉がむずかしくて、つまんな〜い!」ということ(笑
なので!SDGsの本質は踏まえつつ、自分たちの暮らしの中で使ってゆける、私たちのSDGsを自分たちで考えたり、各目標間のつながりを考えたりする新シリーズを作ろう!ということになりました。
SDGsのターゲット(1, 2 /17)
1.貧困をなくそう
あらゆる場所で、あらゆる形態の貧困に終止符を打つ
2.飢餓をゼロに
飢餓に終止符を打ち、食料の安定確保と栄養状態の改善を達成するとともに、持続可能な農業を推進する
この2つのターゲットについては、切っても切り離せない事柄なので、
ターゲットの1と2をいっしょに、2回かけて話してゆこうということにしました。
5/19は、その2回のうちの1回目でした。
会の始まり
今回、SDGsの目標1,2をテーマに主に貧困について考えます。水曜日の20:30から、ZOOMだからこそ全国各地から13人が参加しました。
チェックインでは「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる」という言葉を聞いて感じることを短い言葉でまずは共有しました。それぞれの問題意識から今回の学びのかまどに参加されていることがわかりました。
貧困って何だろう?
まずは「そもそも貧困ってなんだろう?」という問いからスタートです。
貧困はお金のあるなしとはイコールではないと思う一方で、「わたしは貧困」と聞くと、健康な体を保つことができるほどの食糧を確保できない、もしくは健康な体を保つための住居がないとイメージする、という意見がありました。
ここでみんなで考えます。「あなたにとって貧困とは?あるいは、貧困でないとは?」
日常の風景から貧困の輪郭を掴んでいきましょう。ある参加者はホームレスについて考えていたようです。
「日本で貧困を象徴するのはホームレスだと思う。女性のホームレスもいる。みんな気付いているけど声をかけない。警察さえも声かけない。炊き出しをやっていたり、NPOの人が声をかけたりしているのはみた。ホームレスがいることが自体が社会が貧困であること。
(トランジション・タウン発祥の地である)トットネス行ってもホームレスがいてびっくりした。そこには、彼女彼らをケアするチームがいるそうだ。」
ホームレスが貧困の象徴であることには同意しますが、と発言を重ねていく参加者。議論が一段深まっていく予感がします。
大阪で出会ったホームレスのおじさんたちの中には、そこにいたい人もいるのでは、という経験談を話していきます。
「代々木公園の中で暮らすカップルがいたそう。エヌワールという場所にして開いていたの。無料で食べたり飲んだりするものを、お金ではなく、お土産や歌や踊りで交換する、そんな場所。わたしは、試験的にそうしているのかと思ったら、そうでもなく、自然の中でオーガニックのものを食べているわけでもなく、コンビニの廃棄されたお弁当をゴミ箱から拾って食べる生活を、彼らは望んでいるわけではないけど、選んでいる若者がいた。それがハッピーそうだった。」
ホームレスは確かに貧困の「象徴」ではありそうですが、一人ひとりに目を向けると彼女彼らの生き方のような気もしてきました。
あまりに『貧困』という日本語は複層的で、何かの面で語ろうとすると何かが見えなくなってしまう感じがします。
貧困はただ、お金がないということなのか?
英語だと日本語の貧困にあたる言葉が11個くらい見つかる、との声も。
Luck of money や povertyなどがいわゆる「お金がない、貧しい」ということであれば、日本語のニュアンスに近いのはill-beingなのでは、との発見のシェアがありました。
心や体が健康でなく、生活状態が満足できず不安な状態であるのが、貧しく困っている(貧困)の状態なのではないか。そうするとパッと見では判断がつかないかもしれません。
一概に全てホームレスが貧困という状態かというそうは言えないという考えになり、貧困の難しさが見えてきます。
(確かに、ホームレスというのも、厳密に言えば「ホームレス(家がない)状態」であるという状況を示す言葉です。ちなみに、若い世代ではアドレスホッパーといい、固定の住居を持たない生活を選ぶ人もいます。「選んでいる」というのがもしかしたらキーになるのかもしれません。)
貧困は誰の問題なのか、という重要な問題提起もされました。
「貧困」という言葉があること自体が、貧困を生み出している。どんな場面でも「できる人」と「できない人」、「勝者」と「敗者」のように人の間に差をつけるような社会では、貧困もなくならないという考え方もシェアされました。
それに言葉を重ねられてさらに議論が深まります。オンラインのディスカッションですが、沈黙にならずに、次の話し手にバトンが渡されていきます。
何度でも、貧困とは?という問いを。
貧困って何というところに、もう一度立ち返って考えてみます。
もし、お金のあるなしにかかわらず、健康を維持するための食糧を、自分や自分のコミュニティで賄えていたら貧困や飢餓は起こらないのでは?という問題提起です。
そこで2つの事例が紹介されました。『幸せの経済』というドキュメンタリー映画の舞台の一つ、北インドのラダックです。そこに住む人びは自分たちのことを貧しいと思ったことはなかったのに、グローバリゼーションの影がやってくると自分たちのことを「貧しい、助けて欲しい」と言ったそうです。
もう一つ、『世界から貧しさをなくすための30の方法』の著書を書いた元国連職員の方は自分の国を変えなきゃいけない、とある国の大規模プランテーションとそのすぐそばにある飢餓や貧困に大きなショックを受けました。さらにショックだったことは、そこで作られている換金作物の7割が日本に輸出されていた、という事実です。
世界の貧困や飢餓を見つめると、壮大な問題でどこから手をつけたらいいのか、もはや「時すでに遅し」なのではないかと考えてしまいますが、まさに「今ここ」から始められる何かがあるのかもしれません。
貧困、飢餓解決のために見つめ直すのは、コミュニティのこと
ここで改めてSDGsが言っている「貧困」とは何か?という問いに戻ります。何度でもこの言葉を理解しようと参加者の皆さんは諦めません。
貧困、英語でいうとpoverty ですが、これはやはり金銭的な困窮さを意図しているのか、みんなで確認してみます。
すると、達成指標となっているのが所得だったり、お金にまつわるものが多くあったことがわかりました。そして、それがいわゆる「世界の常識」のような気がしてきます。「1日1ドル以下で暮らす子どもたち」など、なんでもお金で換算して世界を捉えてしまう感じ。
そうすると今までの議論を踏まえると、私たちが考える「貧困」とは違うようです。これまでの議論では「格差」が生まれてしまうことで「貧困」状態が起きていることが見えてきました。お金だけではなく、食や教育でもあらゆる場面で「貧しくて困る(貧困)」な状態があるのではないか、そんなふうに考えられます。
とはいえ、SDGsで言われている「貧困」は日本で見えている貧困とはレベルが違うのではないかという感想も出ました。
「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる」というスローガンには、誰の、どの状態の貧困が想定されているのか、そこまでは見通せなかったのがSDGsを暮らしにまで落とし込むことが難しい、規模感や私たちの偏見があるのかもしれません。
日本にも貧困はありますし、その貧困の負の連鎖から抜け出せないことが問題になっています。現場をよく知っている参加者の方からは、それでもコミュニティの力が回復することが一つの手立てになるのでは、というお話がありました。
話がつきませんが、あっという間に時間です。
SDGs第1/2回目は、
- 貧困とは一体なんだろう?どんな状態?
- 貧困を生み出しているのは果たして何なのか?
という話をしてきました。
ここで、持ち帰りたい気づきとしては、貧困はどうやって生み出されているのか。奪う人がいるから、比較があるから。
では、誰が、どこで、奪い、比較をするのかが見えないことが、この問題を一層私たちの暮らしから遠ざけているような気がします。
みんなの言葉を聞いて自分の思いの輪郭が掴めた!という方もいて、一人で考えるのではなく、みんなの言葉を重ねていくことの大切さも感じる時間でした。
written by かなこ