今年2月に韓国に一緒に行った仲間で、共有会や対話会を続けています。
今は、9/1 関東大震災での朝鮮人虐殺の犠牲者に対する追悼の場を、その前日の8/31に準備しています。
https://www.facebook.com/events/945078952665654

そのイベントに向けて8月は毎週月曜日に企画チームの4人が1つずつ記事を書いていきます。
今回は4回目。担当は、きら/河合史恵です。

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私がはじめて、韓国朝鮮の人を身近に感じるようになったのは、中学に入学した頃でした。
中学から大学までを一貫校の私立で過ごした私は、10年間を同じコミュニティの中で過ごしたことになります。
校区の制限がないので、生徒は近県含め かなり広い範囲で暮らす交友関係がありました。
その中でも一番私と家が近くて(といっても、電車の駅で4つくらい離れてるんだけど)、私の家から学校のある駅までは15も駅があって、その間に2度乗り換えをし、通学には1時間半を要したのだけれど、その長い通学時間のうち、のこり4ケの駅まで帰り道が一緒の友達が、韓国籍の人だった。
中学高校の間は、日本名の苗字を名乗っていたのだけれど、大学になって、彼女の苗字は韓国籍の苗字に変わった。
そして、大学生活の間 度々、「卒業したら、韓国の人と結婚するから、日本人男子との交際は大学の間だけ許される束の間の腰かけなのだ」と。
それくらい 彼女の家では厳格に、韓国の血統を守ることが大切なことなのだと知って、当時の私は ただポカンと、その部分についてのみは 受け取り難い気持ちに、よくなったものだった。
私たちの友人関係において、差別という意識は存在しなかったと 40年近くたった今でもそう思えるのだが、関西出身の私は、育った環境として 韓国朝鮮出身の人というのはたくさん住んでいて、遠巻きに そこにある差別や、分断や、耳を塞ぎたくなるヘイトスピーチを間近でみることもあった。遠くにある分断と、自分には直接あまり関係ない という意識が、自分の中に確かにあっただろうと思う。

私の韓国へのクローズアップは、不意に訪れた。
社会活動を通じて知り合ったミュージシャン&農家の韓国籍の友人に、韓国へのツアーに誘われたのだ。
韓国に行くのははじめてだった。
今まで韓国ドラマにも、Kポップにもまったくはまらず、関心を持つきっかけがまったくなかったのに。
はじめて行った韓国は、美味しく、想像以上に距離が近く、ソウルは想像以上に大都会で、そして私は何もしらないまま でも韓国のことが大好きになった。
旅では、従軍慰安婦の方たちが暮らしておられる場にある記念館や、韓国の民主化運動を支える社会活動家を支援するソウルしないの拠点や、北朝鮮との軍事境界線近くの街まで行って、軍事境界線の向こうに北朝鮮領土を見たり、そしてたくさんの韓国/朝鮮人の人と出会って 話した。

学生時代の たった一人の友人とのつながりでしかなかった朝鮮半島は、私の中でとたんに色を持ち、言葉をもち、熱をもち、動き出した。
知らないことがいっぱいだった。知らないことだらけだった。
そして、仲間と対話し、調べ、また対話する という日が動き出した。

関心を持てば持つほど、こんなに近い国同士の間には、つらすぎる出来事がいっぱいありすぎる。
なぜなんだろう、、、どうしてなんだろう、、、そしてその根っこは 私自身の中にもないだろうか、、、本当に ないだろうか、、、

今 私の頭を占めているのは、反省や 向き合うことへの日本という国のあまりにもの脆弱さだ。
そして今回迎える9/1。関東大震災の最中、本当にたくさんの人びとが 虐殺によって 多くの人が犠牲になられたと知った。
なんじゃそりゃ〜 である、、、

今の私の結論。
悲しみを直視した分だけ、パワーがつく。
どんなことにも逃げないで まずそこにあることに向き合うこと。
そこからしか すべてははじまらないということ。                   私の 朝鮮半島を知る旅は、まだはじまったばかりです。

きら/河合 史惠(カンパニア 共同代表理事)